誰だって一人じゃ生きられない

こんにちは!

昨日の「個人的お気に入りブログの紹介」が結構な好評をいただきました。

僕の「個人的な」おすすめなのに好評だなんて嬉しいですね。


おすすめブログ、まだまだあります^^

またどこかでお気に入りコレクション②を書こうと思います!


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カテゴリ名の「雑想ノート」。


スタジオジブリの宮崎駿さんが20年くらい前に発売されたイラストエッセイのタイトル「宮崎駿の雑想ノート」から拝借しました。

飛騨に来た時に手放してしまったのですが、とても大切にしていた一冊でした。


僕はジブリの作品では「紅の豚」が一番好きです。


アドリア海の情緒的な風景、飛行艇のクールなデザイン、男の生き様、女性の持つ芯の強さ、加藤登紀子さんの主題歌、久石譲さんのBGM、なにもかもが最高の傑作です。

そしてこの「雑想ノート」では、「紅の豚」の原作といってもいい話が収録されていて、主人公のポルコ・ロッソがまだ豚になる前のエピソードが読めます。

飛行艇フォルゴーレ号(皆、名前知らなかったでしょ~^^)も大活躍しています。



また、宮崎駿監督は生粋の「メカおたく」…というか軍事兵器おたく。

その証拠に、この書籍は当時出版されていた模型雑誌に連載していたものをまとめたものだそうです。

緻密に描写された飛空艇や戦車や兵器に馳せた思いがこれでもか!というほど満載です。

完全に趣味で描かれているそうで(笑)本人いわく「この本に兵器に関する技術的・資料的価値はまったくない」と明言されているところも、

かえって宮崎監督の脳内を覗き見しているようで実に面白い一冊でした。


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さてさて「雑想ノート」の話はさておき。

そろそろ本題に移りますね。





先日、僕が飛騨に来て最初に住んだ山奥の集落に住む、88歳のおばあちゃんが亡くなったという知らせを聞きました。




そこは「限界集落」と呼ばれる地域でした。

高齢者の割合が圧倒的に多い、若者がいない、子供が生まれない、やがて町へ出て行ってしまう。

将来的に、社会的共同生活が不可能になるであろう地域=存続不可能な集落を指す言葉です。


かくいう僕も、せっかく住み着いたその地域を出てきてしまったので身なので、偉そうなことは言えないのですが…。



飛騨に来て11年。

思えばずいぶんと沢山の人が亡くなりました。



仕方ないですよね。

皆、ご高齢なのですから。




僕はあのばあちゃんは、今もずっとあの集落にいるものだとばかり思っていました。


ところがどうもここ数年は町の老人ホームに預けられていて、そこで亡くなられたそうなのです。




超高齢化社会がさけばれる昨今、老人ホームで亡くなられるのは珍しいことではありません。

ご家族にしてみれば、自分たちが食べていくための仕事もしなければならないし、お年寄りを一日ずっと看ていることも難しいです。




老人ホーム。

預けられる方は、「まるで家族から捨てられたような感覚」や「厄介払いされたような気持ち」。

預ける方は「まるで親を捨てるような感覚」や「本当はそんなところに入れたくないのに」という思い。


一昔前の日本において、老人よりも若者が多かった時代では、やや否定的なイメージがついてまわるものでした。

それを象徴するように、施設も山奥にひっそりと建てられていたり、建物の周りにも周囲から見えないような目隠しや柵があったり。

本人も家族も、どこか後ろめたい気持ちのあるものであったように感じました。


それが高齢化の波が押し寄せると共に、老人ホームへの入所もごくごく普通のことになり、やがて業界としての規模も大きくなることで、サービスの改善、解放的な建物、利用者さん達が満足して暮らせる環境作りが整えられるようになりました。

今ではむしろ受け入れ先の方が足りないくらいで、部屋の空きがなく「入所待ち」なんてこともザラです。



そんな現代なのだから、老人ホームに入れること自体が悪いことだとは思いません。



ただ、僕も知るあのばあちゃんは、聞いた話ではどうもお嫁さんと折り合いが合わず老人ホームに預けられた、という話でした。


僕は、そのお宅とそこまで深く関わっていたわけではないし、家のことまではよく分かりません。



僕の知るばあちゃんといえば、天気の良い日は縁側に腰掛けて、挨拶をすればいつもニコニコ返してくれて、「暑いなーお茶飲め」と冷たい麦茶をくれた、かわいいおばあちゃんでした。


だから、もしかしたらちょっと寂しい最期を迎えたのかなと思うと、なんだか胸が苦しくなります。


…そんなことはご本人やご家族にしか分からないんですけどね。



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僕は、今の世の中を作ったのは、間違いなく僕らの祖父母や曾祖父母の世代だと思っています。

昔からの文化を受け継ぎ、それを発展させるために努力し、

戦争という激動の日々を乗り越え、昭和という大躍進の時代を作ってくれました。



だから、お年寄りが最後を迎える時は、どうか心穏やかに、家族に見守られて、良い顔で旅立ってもらいたいのです。




独居老人。

孤独死。

老後貧困。


なんと悲しい言葉の溢れる現代。



でも、それが特別ではなく、誰に起きてもおかしくない世の中なんですよね。

晩婚化、独身の増加、少子化。

もはや人との接点は薄まっていくばかりです。



「身寄りがない」という言葉があります。

この「身寄り」という単語。

まさしく身を寄せる誰かのことでしょう?

家族というグループが小さくなっている今、せめて友人知人、もしくはご近所などで、お互いが助け合えるコミュニティが重要になってくると思うんです。

それの公的なものが町内会や自治会。

面倒だけど、きっと大切なことなんですよね。


それはなにも田舎だけに限らず、もしかしたら人の多い都会でこそ必要なのでは、なんて思うことがあります。



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だって、ひとりは寂しいです。

僕は結構な寂しがりなので(笑)、ひとりはツライです。


複数人でやって楽しいことは、ひとりでやっても楽しくありません。


ごはんも、自分が食べるだけのためには頑張れません。

ひとりでは身なりも気にならなくなります。

いつしか他人の事に目が向かなくなります。


何にも関心が向かない自分に、やがて自分自身のことも関心がなくなり、「孤立」の完成です。



・・・



以前、一人暮らしのお年寄りが、ずっとこたつで過ごしていたら体が動かなくなってしまい、110番をしたというニュースを見ました。

駆け付けた救助隊は、特にどこも悪い所が見受けられないお年寄りを見つけると、「どうしましたか?」と手を差し伸べました。


手を握ったお年寄りは、突然堰を切ったように涙を流し、

「久しぶりに人に触れてもらった。それだけで嬉しい。」

そして「毎日とても寂しかった…。」と。



その光景が、なんとも不憫でかわいそうで、涙が止まらなかったです。


部屋の壁には遠い昔、家族で撮ったモノクロの写真。

何年も前で止まったカレンダー。


寂しいと、カレンダーを張り替える力もなくなってしまうんですよね。


でも、おそらく今はそういう人がたくさんいるんです。



もちろん、僕が勝手に思っているほど、皆がみんな悲観的ではないのかもしれません。

一人は一人なりに楽しく生きている方もいるのかもしれません。



ただ、僕がきっとその立場だったら、きっと耐えられない。



人との接点は、きっと、自分自身との接点。

寂しい時に、寂しいと言える相手がいないなんてダメなんです。



だから、まずは身近な人を大切にしなくちゃ。




繋がりこそが、いつか自分を支えてくれます。