父の死から10年

f:id:amago1022:20210226102644j:plain

ちょっと過ぎてしまいましたが、2月14日。

そう、世の中はバレンタインデー。

ちなみにこの日は父の命日でもあります。

2011年のことでした。

父が死んでちょうど10年が経ったので、この機会に今の思いなんぞを。

東日本大震災の1ヶ月前

2011年といえば「3.11」。

なんだか、とても前のことのような気がすることがあります。

(被災された方にしたら「ふざけるな!」ですよね。すみません…)


父が旅立ったのはその1ヶ月前でした。

気づけば、あれから10回もの四季が巡りました。

あの地震は多くの人の人生や死生観を変えたし、その後もこの国は、あなたが居た頃と大きく変容しましたよ。

家族の形も変わった

一方、僕はといえば、父の死の翌年に結婚。

何かの本で、亡くなった人は「約1年間はこの世にいる」という話を読んで

まだギリギリ「この世」にいるであろう父にも結婚したことを知らせたくて、1月末に入籍しました。

(ほんとギリギリだな)

それから5年経った2017年、ようやく子供を授かりました。

出産を確認した朝、僕はすぐに出勤しなければならなかったので、

少しだけ自宅に戻った際に、父の分骨にも手を合わせて報告しました。

ちゃんと届いていたかな?

・・・

ただ、人生というものは常にプラスとマイナスの表裏一体。

悲しいこともありました。

僕の愛犬、父もとても大切にしてくれた「あまご」が2018年に死にました。

思い返せば、父が死んだ時より泣いたかも。笑

その時のブログはこちら。

www.amagodon.net


そんな風にして、気がつけばこの10年、家族の形が幾度も変わったのでした。

独身(1人)→犬(1人+1匹)→同棲(2人+1匹)→結婚→子供(3人+1匹)→犬の死(3人)

「10年ひと昔」という言葉は伊達じゃないね。

死ぬ、ってどういう気持ちだろう

f:id:amago1022:20210226102832j:plain

父が死んだ時、父の気持ちを推し量ろうと思いました。

でもわからなかった。

当時は父でも夫でもなかったから。


だから、父でも夫でもある今の自分に置き換えてみました。


もし自分に病気が見つかったら。

余命、幾ばくもないと知らされたら。


なんだかたまらない気持ちになって、横でおもちゃで遊んでいた子供を抱き寄せ、

むりやりギューっとしたら、「ちょっとやめてよー」とそれはそれは嫌がられましたよ。

親の心、子知らずです。はい。

・・・

f:id:amago1022:20210226102921j:plain

思えば独身の頃は「気楽な一人暮らしは失うものも少なくて良いぜー」と本気で思っていました。

必要な生活コストも低いし、その時その時の自分に合わせて飄々と生きていけば良いや、って。


あれから10年。

家族ができて、家をもって、もうあの頃のような飄々ライフは送れなくなったけれど、それは人生のマイナス要素なのかな。

それは違うよね。

自分のこと以上に大切な存在ができた、という大きな幸せです。


ただ、独身や一人暮らしがダメ、ということではありません。

さっき書いたような「失うものの少なさ」は人生における、ひとつの大きなアドバンテージでもあるはず。

大切なのは、今この瞬間の自分の環境において「幸せだな」と思えるスキル。

それに尽きるんじゃないかな、と思います。

今思うこと

f:id:amago1022:20210226103058j:plain

家族を残して死ぬのは悲しいことです。

でも、自分自身が感じる悲しみは別に良いのです。

だって自分がどうにか折り合いをつければ良いだけのことだから。

それに、死んじゃえばもう悲しみすら感じないのかもしれないし。


それよりも、家族への影響がつらい。

生活水準が下がったり、苦労をかけてしまうかもしれないこと。

子供には今後、片親という負い目を感じさせてしまうかもしれないこと。

何よりも、家族が悲しみに伏してしまうかもしれないということ。

そこに思いを馳せると、これがたまらなく悲しい。


だから、よく言うでしょ。

最大の供養は、遺族が元気に笑顔で暮らすことだ、って。

・・・

おやじ殿。

おかげさまでなんとか元気に生きてます。

ありがたいことに「家族と共に生きる日々をありがたい」と思えています。

あなたのおかげです。

一回くらいなら、こっちで出て来ても良いんだよ。

ビール一本くらいなら出すよ。笑


まあ、何にしても

この先、まだまだ頭の中・心の中で相談に乗ってもらうかもしれません。

これからも色々とよろしく。