ちょっと過ぎてしまいましたが、2月14日。
そう、世の中はバレンタインデー。
ちなみにこの日は父の命日でもあります。
2011年のことでした。
父が死んでちょうど10年が経ったので、この機会に今の思いなんぞを。
東日本大震災の1ヶ月前
2011年といえば「3.11」。
なんだか、とても前のことのような気がすることがあります。
(被災された方にしたら「ふざけるな!」ですよね。すみません…)
父が旅立ったのはその1ヶ月前でした。
気づけば、あれから10回もの四季が巡りました。
あの地震は多くの人の人生や死生観を変えたし、その後もこの国は、あなたが居た頃と大きく変容しましたよ。
家族の形も変わった
一方、僕はといえば、父の死の翌年に結婚。
何かの本で、亡くなった人は「約1年間はこの世にいる」という話を読んで
まだギリギリ「この世」にいるであろう父にも結婚したことを知らせたくて、1月末に入籍しました。
(ほんとギリギリだな)
それから5年経った2017年、ようやく子供を授かりました。
出産を確認した朝、僕はすぐに出勤しなければならなかったので、
少しだけ自宅に戻った際に、父の分骨にも手を合わせて報告しました。
ちゃんと届いていたかな?
・・・
ただ、人生というものは常にプラスとマイナスの表裏一体。
悲しいこともありました。
僕の愛犬、父もとても大切にしてくれた「あまご」が2018年に死にました。
思い返せば、父が死んだ時より泣いたかも。笑
その時のブログはこちら。
そんな風にして、気がつけばこの10年、家族の形が幾度も変わったのでした。
独身(1人)→犬(1人+1匹)→同棲(2人+1匹)→結婚→子供(3人+1匹)→犬の死(3人)
「10年ひと昔」という言葉は伊達じゃないね。
死ぬ、ってどういう気持ちだろう
父が死んだ時、父の気持ちを推し量ろうと思いました。
でもわからなかった。
当時は父でも夫でもなかったから。
だから、父でも夫でもある今の自分に置き換えてみました。
もし自分に病気が見つかったら。
余命、幾ばくもないと知らされたら。
なんだかたまらない気持ちになって、横でおもちゃで遊んでいた子供を抱き寄せ、
むりやりギューっとしたら、「ちょっとやめてよー」とそれはそれは嫌がられましたよ。
親の心、子知らずです。はい。
・・・
思えば独身の頃は「気楽な一人暮らしは失うものも少なくて良いぜー」と本気で思っていました。
必要な生活コストも低いし、その時その時の自分に合わせて飄々と生きていけば良いや、って。
あれから10年。
家族ができて、家をもって、もうあの頃のような飄々ライフは送れなくなったけれど、それは人生のマイナス要素なのかな。
それは違うよね。
自分のこと以上に大切な存在ができた、という大きな幸せです。
ただ、独身や一人暮らしがダメ、ということではありません。
さっき書いたような「失うものの少なさ」は人生における、ひとつの大きなアドバンテージでもあるはず。
大切なのは、今この瞬間の自分の環境において「幸せだな」と思えるスキル。
それに尽きるんじゃないかな、と思います。
今思うこと
家族を残して死ぬのは悲しいことです。
でも、自分自身が感じる悲しみは別に良いのです。
だって自分がどうにか折り合いをつければ良いだけのことだから。
それに、死んじゃえばもう悲しみすら感じないのかもしれないし。
それよりも、家族への影響がつらい。
生活水準が下がったり、苦労をかけてしまうかもしれないこと。
子供には今後、片親という負い目を感じさせてしまうかもしれないこと。
何よりも、家族が悲しみに伏してしまうかもしれないということ。
そこに思いを馳せると、これがたまらなく悲しい。
だから、よく言うでしょ。
最大の供養は、遺族が元気に笑顔で暮らすことだ、って。
・・・
おやじ殿。
おかげさまでなんとか元気に生きてます。
ありがたいことに「家族と共に生きる日々をありがたい」と思えています。
あなたのおかげです。
一回くらいなら、こっちで出て来ても良いんだよ。
ビール一本くらいなら出すよ。笑
まあ、何にしても
この先、まだまだ頭の中・心の中で相談に乗ってもらうかもしれません。
これからも色々とよろしく。