◆田舎で生活10年目!◆

たまたま流れ着いて始まった田舎暮らしも10年が過ぎました。もう僕は都会ではいきられません。

いびつで不格好だからこそ胸に響く

こんばんは~。

本日、「予約投稿」でお送りしております。

おそらく現実では甲府とか相模湖あたりを走っている予定。

嫁が「追突事故に遭う夢を見た」なんて不吉なことを言うのでちょっと不安ですが、どうか無事に着きますように!

手をつないで歩くお年寄り

夕方、僕が車で走っている時に見かけるお年寄りのご夫婦がいます。

お二人はいつも手をつないでいます。

でも、何かを話しているわけでもないし、ニコニコ笑い合っているわけでもありません。

ただただ、ゆっくりと、手を取り合って歩いています。


おばあちゃんの方が少し年上なのかな?

体力が落ちてきているのか、おじいちゃんがリードするように半歩前を歩きます。


それだけ。

ただ、それだけの光景です。


顔は二人とも日に焼けて真っ黒。

二人は外仕事で生計を立ててきたのでしょうか。

おばあちゃんはおじいちゃんの仕事を手伝ってきたのかな。

二人が、同じだけ真っ黒なのです。


・・・


おじいちゃんは、空いている方の手で日用品の入ったスーパーの袋を持っています。

買い物するだけなら、おばあちゃんには家で留守番をしてもらっていた方がいいんじゃなかろうか…。

おばあちゃんはそんな足取りなのです。



おじいちゃんは、そんなおばあちゃんを急かす事もなく、

かといって変に気を遣う訳でもなく、

いつも通り、左手でおばあちゃんの手を取り、半歩前を歩きます。


夕焼け空をバックに歩く二人の姿を、

僕はもう何十回と目にしてきました。


なんともありふれた話ではありますが、

そこには「人」という漢字の、お互いがお互いを支え合う様子そのものに見えて、

なんだかとても胸を打つのです。



僕の勝手な想像でしかないのに、

あのお二人から不思議と温かい気持ちや、

生きていく上で大切なことを教えてもらっている気がします。


そしてこれがある日、もしどちらかお一人だけで歩いているところをお見かけしてしまったら、

僕はきっとものすごく悲しくなってしまうのだろうなぁと、

今から寂しさに耐える心の準備をしてしまうのです。


僕のじいちゃんばあちゃん


思い返せば、僕の祖父母はしょっちゅう言い合いをしていました(笑)

僕の地元は房総半島の海辺の町。

海苔漁師だった祖父、そしてそれを支える祖母は、海の人間ならではの血の気の多い人たちでした(^_^;)

二人は些細なことですぐ口ゲンカになり、どちらも負けん気が強いのでお互い全く引きません。


(あ~、まーた始まった…)


子供心によく思ったものです。


でもしばらく時間を置いてから様子をうかがうと、

さっきまでのいがみ合いがウソのように、二人でお茶を飲みながら笑っているのです。



思えば、あれが二人の夫婦の形だったんだなぁ( ̄∀ ̄)


群れの形はそれぞれ。最終的に「丸」であればいい

夫婦もそう。

家族もそう。

友人も、同僚も、ご近所も。


絵に描いたように理想的な「真ん丸」になんて、本来なれるはずがないのです。

お互いガタガタでいびつな図形が、あっちをぶつけ、こっちを擦すって、

カリカリと腹を立てながら、いつしか嫌でもお互いの刃で研磨されていき、

やがて少しずつ歯車が噛み合うように重なり、

なんとなく「円のようなもの」になるのでしょう。


かつて一人じゃなかったからこそ、独りは悲しい


また少し話は飛んでしまいますが、

「頑固」や「偏屈」が引き金となり、家族から厄介者扱いされるお年寄りや、

ご近所の間でも変人扱いされる人がいたりしますよね。

そういう人達は施設に入ったり、地域のコミュニティに参加したりしても、なかなかすんなりと馴染むことが出来ません。



こういう方々に共通していることは、

周囲からの「昔はあんな風じゃなかったのにね…」という言葉。



「まだ奥さんと別れる前までは…」


「旦那さんが元気だった頃は…」


「ご家族と一緒だった頃は…」



ある「何か」の出来事をきっかけにして、

その人の「何か」が変わっていきます。


でもそれは、自分の「いびつな部分」を受け止めてくれていた人がいなくなってしまったのですから仕方がないことでもあると思うのです。



自分を受け止めてくれる人、

自分+相手で「丸」にしてくれる人がいないから、

「そのままの自分」で周囲と接する際に不和が生じてしまう。


自分の、尖っている一面が誰かを傷つけ、

どうやっても柔らかくなれない固い角が、誰かとぶつかってしまう。



または、自分の言動で不和が生じた時、

そして自分一人ではその理由に気が付けなかった時、

そういうことを横からそっと気が付かせてくれる、正してくれる、

それが夫婦、家族、友人。

つまり、その人にとっての大切な人たち。



そんな大切な人を失っただけでも十分悲しいのに、

さらには自分の周囲とも溝が生まれてしまうなんて、本当に寂しいことです。



とはいえ、自分の大切な人と常に一緒に過ごし、

最後の人生の幕引きまで共に迎えられる人なんて、

世の中にはそうそういないですからね…。

どちらかが先に逝き、または離れ、

残された人は、一人の人生を歩まなければなりません。


悲しいけれど、それが生きるということ。


本当に大切なものには「大切だ」という意識すら持たない


いつも見かけるご夫婦。

あの世代なら、人目を憚らずに手を取り合って歩くなんて、なかなか勇気のいることです。

でもきっと、そのくらいにお互いのことを思い合っているんだろうなぁ。

いや「思い合っている」などという形骸化した意識すらもなく、そうすることが当然というように、そこには淡々と時間だけが流れていることが素晴らしいと思います。


僕が目にする限り、言葉にも表情にも出さないお二人だけれど、

その小津安二郎監督の映画のような、どこかシニカルで、

そしてゆるやかに流れていく光景は、不思議ととても愛情に満ちています。


そういう人であれば、人生の伴侶が旅立った後も、きっと周囲とも良い時間を歩んでいけるのでしょうね。

…まあそれは本人しか分からない事だけど、そうであって欲しいと願うばかりなのです。


(大切であるほどショックも大きく、人柄もガラッと変わってしまう、なんて場合もあるのでしょうけど…)



こうして、少し日の長くなってきた春の一日の終わりに

あらためて、自分にとって「大切な人」を大切にしようと思うのでした。


超有名にして世界が認める名作ですが、

今日のような話がお好きで、なおかつ未見の方はぜひ一度ご覧ください。

たまにNHKのBSとかで放送しますけどね…(笑)

↓こんな記事も書いてます!↓