今年も3.11を迎えました

こんばんは。

3月11日ですね。

ブログを開始してからは初めての3.11です。


今年も市内の放送塔の合図で、

2時46分に1分間の黙とうを捧げました。


今日の飛騨は、多少雪もチラついていましたが、

春を間近に控えつつある、おだやかな週末。


こんな何気ない週末を、

どれだけ多くの人が迎えたかったことでしょう。


・・・


国内における観測史上最大規模の地震。

15000人もの人が亡くなり、

今なお12万人もの人が避難所で不自由な生活を送っているそうです。



まさかあんなことが起こるとは。


誰しもが思ったことです。



・・・


僕の友人も父親を亡くしました。

別の知人は家を失いました。


当時は、かける言葉もありませんでしたが、

今では二人とも、少しずつ前に向かって歩き始めています。


その間、僕には到底知りえない苦悩があったことと思います。


「頑張った」とか、そんなことは言えません。



でも、彼らが今、この世に生きていてくれて嬉しいです。

地震や津波で死ななかった事、

災害後の将来に絶望して自ら命を絶ってしまわなかった事。

彼らは立派です。


でも「立派」だなんて言ったら怒ると思います。

彼らにしてみれば「日常」を送っているだけなのですから。

「日常」を取り戻そうとしているだけなのですから。



ただ、その日常がひとつの出来事で大きく変わってしまった。


たったひとつの出来事で。


・・・


「親しい人が元気に暮らしている」

それは素晴らしいことです。

そんなカンタンなことでさえ、人はアホなのですぐ忘れてしまいます。



人は、「良いこと」はやがて当たり前となって忘れてしまい、

「悪いこと」はただただ忘却の彼方に埋もれて忘れてしまいます。




もっとも、のうのうと第三者ヅラでこんなことを書いている自分自身でさえ、

もしかしたら今晩、災害に見舞われる可能性が無いわけではない。



それは皆、同じです。



出来る対策、考えられるシミュレーションだけでもしっかりしておきましょう。


たぶん、今の世の中は

「健全な明日」が当たり前にやってくる時代ではないようです。



大変だけど、頑張って生きていかないと。



薄っぺらいことしか言えなくて申し訳ないです。


でも、頑張って生きていかないといけないのです。


そう思います。