父の形見のカメラの話

こんにちは。

飛騨ではいよいよ最低気温が10℃を下回る日が出てきました。

今朝も寒かった~。

僕の持っている畑用の防寒具はどれもバツグンにダサいのですが、今の時期のが一番ダサいです(笑)

まあダサいから畑用なんですけど…。


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前回、レッグリフレの費用があればカメラが買えたのに的な発言をしたので、今日はカメラの話をします。


今は亡きオヤジのカメラのお話。




もうここでも度々書いていますが、僕の父は2011年に61歳で亡くなりました。

50歳頃にガンが見つかり、約10年の闘病の末、この世を去りました。


発病した当時、ハタチくらいだった僕は「父の体にガンが見つかった」と聞いて本当に驚いたのですが、
どこかで「まさか死ぬわけない、きっと治るんだろう」というようにも思っていて、そこまで重く考えていなかったんですね。


それはおそらく、当の本人もそうだったはずです。


やがて手術を終え、これで大丈夫と胸をなでおろした数年後、再発が見つかりました。

すでにがん細胞は全身に転移し、手術は不可能、という無情な診断でした。


何年も抗がん剤治療で苦しい思いをしてきて、

もうこれ以上、体をいじめて延命することに意味は無い。

体に痛みが出た時だけ、鎮痛剤を使うことにして、

あとは、残された時間をどう生きるか。


医者からもそんな話をされたはずで、本人も色々と考えたのでしょう。



そんなある時、父はインターネットでデジタル一眼レフのカメラを購入しました。

CanonのEOSというシリーズの「20D」というモデルでした。

プリンタまで一緒に購入し、すぐに現像できるんだぞと自慢げに話す父。

その時「ふーん…すごいね」と素っ気なく返事したような覚えがあります。
(我ながら冷たいなぁ…)

だって、既にずいぶんと体力が落ちていた父は、撮影の為にどこかへ出かけるということも出来ませんでしたし、

それに、もし買うにしても、その痩せ細ってしまった腕で撮るのだから「もっと持ち運びしやすいコンパクトカメラにすれば良いのに…」と思ったのを覚えています。



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我が家のカメラの思い出は、ずいぶんと記憶を遡ります。


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僕ら、3人の息子たちが子供の頃「絶対に触っちゃダメだぞ」と言われていたものがありました。

父の部屋の片隅にある、ガラス窓のついた箱。


コンセントから電源を取り、何かは分かりませんがいつもランプが点灯していました。


その正体が分かったのは高校生くらいになってからで、それはカメラの防湿庫でした。

中にはいくつもレンズやカメラが並んでおり、大事にしているのが素人目にもわかりました。

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父は、いつも写真を「撮る側」でした。

皆で並んで撮ることもありましたが、どちらかといえば何気ない家族の1シーンを切り取るのが好きだったようで、

我が家の本棚には膨大な量の現像された写真が保管されていました。



カメラを構える父に対して、子供の頃の僕は何も感じていませんでしたが、

ある程度、大人になってはじめて「あーオヤジはカメラが好きなんだな」と思いました。


子供の内って、親の行動の意味って考えないですよね。

まだ子供なのだから当然なんでしょうけど。


親が何かをしていて、

その行動が「好きでやっている」のか、はたまた「仕事や義務でやっている」のか、

そういうのって分からないですよね。

(そんなことないって?たまたま自分が察しの悪い冷たい子だったんでしょかw)



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やがて、父は旅立っていきました。


遠く飛騨に越してしまった僕は、父の発病以降、トータルで何日一緒に過ごしてあげられただろう。

何一つ不自由のない体に生んでくれて、

大きな怪我や病気もなく育ててくれて、

アホな息子が考えナシに遠くへ行こうとすることに、一切反対もせずに送り出してくれて、

本当ならば、これからがようやく恩返しが出来る、そんな中のお別れでした。



父の死から1年。

僕は年末年始の帰省で千葉に帰ってきていて、父のカメラを見つけました。


この頃、ちょうど僕はカメラが欲しいと思っていて、そろそろ一眼レフに挑戦したいなと思っていました。

でもコンパクトカメラよりも高価なデジタル一眼レフを買うお金はなく、

「そういえばオヤジ、死ぬ前に買ってたよな」と。



我が家はデジタル関係にとんと弱く、僕がまだ一番マシな程度です。

操作のややこしい一眼レフのカメラなんて、誰も触らずに放置されていました。


見つけたカメラは、発売からすでに8年が経っていました。
(オヤジが購入したのは6年前でしたけど)

このEOS-20Dという型は、まだモニタがとても小さい頃で、再生しても画像の精密さが全くわかりません。

記憶媒体も今のようにSDカードではなく「コンパクトフラッシュ」というもので、パソコンに差すことも出来ませんでした。

(父は、一緒に買ったプリンタで現像するだけで、パソコンなどには一切保存はしていませんでした)




「これさ、中の写真て大きな画面とかで見たの?」


母親は「全然使い方が分からないから見てないのよ」。

思った通りの答えでした。



僕は俄然、中の写真に興味がわいてきました。


さいわい、このモデルには外部出力端子があったので、何軒か電器屋を回ってケーブルを探してきました。

テレビに繋げて再生ボタンを押します。


庭先の花。

ベッドから見た窓。

網戸に止まった虫。

母の後ろ姿。

呼び止めて撮ったであろう母の顔。



そこには、なんてことのない写真ばかりが収められていましたが、

見ている僕らには、

父が見ていた景色、父が感じた気持ち、

撮影時のブレを殺せないほど弱ってしまった体、

そんな、十分すぎるほどの情報量がありました。



後半には、夕焼けの写真が続きました。

もう間もなく、日が沈む光景。

きっと自分を重ねていたのかな。



そして、最後は母の顔、顔、顔。

同じポーズ。

同じアングル。

というか、とにかくドアップの顔の連続。

モニタが小さいから、どれくらい精細に映っているのか分かっていなかったのでしょうね。

60近くの女性にはなかなか厳しい寄り具合です(笑)



でも、

母のことが好きだったんだな。

心から愛していたんだな、って思いました。


そして、

ずっと傍にいたかったんだな。

出来ることならば、これから先も離れたくなかったんだな、って。



何枚も何枚も、ずっと続く母の顔。

あとになるほどブレが強くなっていて、

シャッターを切る握力すら無くなってしまった体と、

もう、すぐそこまで別れが近づいていること。

もしかしたら父は泣いていたのかな。



はじめは「なんだこりゃ」って笑っていたのに、いつのまにか皆ティッシュ大量消費状態でしたね。




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今、このカメラは僕の手元にあります。

正直、めっちゃくちゃ使いにくい!!(笑)

モニタの小ささとコンパクトフラッシュ、この2点でもはや最悪です。

でも、このカメラで色んな景色や人を撮ったら、

きっと父が喜ぶと思うんです。


使いこなすにはちょっと勉強と経験がいるけれど、

この小難しさも、父がハマった理由のひとつのような気がします。


おい、くそおやじ。

めんどくせーけど、ちゃんと壊れるまで使ってやるから安心してください!