こんばんは。
今日。
とても、とても悲しい知らせを受けました。
僕が飛騨に来て、最初に住んだ山奥の集落。
そこで知り合った、ほぼ同世代(ちょっとだけ年上)の夫婦がいました。
その奥さんの方が、先週の木曜日に交通事故で亡くなった、と…。
正直、まだ頭の中が整理できていなくて、
とにかく悲しくて、本当にやりきれないです。
いつもホンワカとしていて、優しくて、ニコッと笑う可愛い人でした。
その集落に住んでいる間はもちろん、そこから引っ越した後も、
時々帰れば、いつだって優しく迎えてくれました。
とても素敵な人でした。
・・・
振りかえれば、家族や親類以外の死というものは実に久しぶりで、その時は病に伏す友人でした。
(突然、別の人の話になってしまってスイマセン(ー ー;))
…こんな言い方は良くないのですが、病気ということで、心のどこかで覚悟はしていたんですよね。
それはそれでツラいものがありましたが、でも「準備」はしていたんです、気持ちの方の。
今日の訃報を耳にして、なぜだか友人の時のことを思い出してしまいました。
「おめーはどうせバカみたいに泣くだろうから、絶対に泣くなとは言わないけど、ちょっとしたら、ちゃんと笑えよ」
友人の最期の言葉が今も胸に響きます。
筋肉ムキムキで、どんなスポーツも卒なくこなしてしまう体育会系だったアイツが、見る影もないほどやつれてしまって。
ゴツくて真っ黒だった顔が、すっかり青白くなって、パジャマのすそから見える足首が、年寄りのように細くなってしまって…。
心身ともに情けなかった僕は、その姿に動揺が隠せず、すぐに顔に出てしまうため、
病室の前で少し深呼吸して、両ほほを軽くパンと叩いてから入室します。
すると、さぞ辛い状態だろうに、無理してアイツは陽気に笑うんです。
別にいいのに…。
弱音を吐いて泣いたっていいのに。
でも、それがなかなか出来ないんですよね、人間ってやつは。
まぁ、そいつには彼女がいて、その子の前では泣いていたそうなので、それは良かったんだけど。
でも、内心では「おれの前でもそうしろよ!」という、謎のジェラシーとかもあったりして(笑)
僕ね、めちゃくちゃ涙もろいんですよ。
涙もろいし、さらには心までもモロイんです(ー ー;)
涙なんていくらでも出ていけばいい。
それで悲しい気持ちも一緒に出ていってくれるならば。
でも、実際は全然そんなことないんですよね。
悲しさは澱のようになって、心の奥底に静かに溜まっていくばかり。
・・・
ちゃんと笑え、ってさ。
ムリ言うよな。
お前がどうでもいいヤツだったら、すぐにでも笑ってやったわ。
でも、そんなわけなかったし、
そんな風にはいかなかったんだよ…。
逝っちゃう前に「見送る方の気持ちにもなれ」って言ってやりたかった。
でも、あいつも「おれの気持ちになってみろ」なんて言わなかったしな。
何度も考えてみたけど、やっぱり「見送られる方の気持ち」になんて、なれなかったよ。
強いやつだったなぁ。
「ちゃんと笑う」約束は、きちんと守ったぞ。
約束したから、無理やり守ったぞ。
たとえ無理でもなんでも、ちょっと笑ったおかげなのか、砂礫のようにモロかった心はすいぶんと安定したかも。
ホントすごいよ、お前は。
死んでからもおれを支えてくれたんだ。
ありがとな。
・・・
もしもの話だけど。
自分の大切な人が最期まで決してケガや病気もなく、必ず幸せな人生を送れる保証付きプランとか
もしそんなものがこの世の中にあったら、おサイフ事情は厳しくても、きっとかなり頑張っちゃうのに、って思います。
「ここまでの人には掛けて、ここからはいいや」っていうラインから漏れた人には、大変申し訳ないとしか言い様がないけれど(笑)
この記事を書いていて、ずっとタイトルが決められなくて、ふいに出てきたのが松尾芭蕉の句でした。
旅に病んで 夢は枯野を駆け廻る
たまたま「秋だから」ってだけですかね(^_^;)
Mさん。
まさかこんなに突然逝ってしまうなんて思ってもみなかったです。
Mさんは「枯野を駆けめぐる」ようなタイプではなかったけれど、
晴れの日の秋の太陽のような、優しくあったかい人でした。
こんなことになるなら、もっと早く、もっと何度も会って、たくさん話をすれば良かったな…。
今、とても寂しくて、悲しいです。
どうかむこうで、Mさんがニコニコ微笑んで、穏やかな時間を過ごせることを願っています。