ママン、飛騨再上陸
この週末、母親が飛騨に遊びに来ていました。
僕らは昨秋に家を建てたこともあり、それを見に来るついでに飛騨観光も…、とのことでした。
僕は飛騨に来て11年になりますが、母はまだ3回目の来訪です。
1回目は引っ越してきた年、
2回目は僕らの結婚式。
過去の2回は父も一緒でした。
その父も、今はもういません。
いかんせん一人では何も出来ない母ですので(笑)、今回は僕の従姉妹にあたる姉ちゃんが連れて来てくれました。
・・・
「どこに行きたい?」と聞くと、
「新穂高のロープウェイに行きたい!」とのこと。
でもまだ梅雨も明けないこの時期、なかなか晴天は期待できません。
「晴れじゃないと行っても仕方ないよ、曇りでも何も見えないし」と諌めると、
「そうだねぇ…」と残念そうに諦めたようでした。
(そんなに山なんて好きだったかな…?)
案の定、天気予報は思わしくなく、土曜の午前中までは日曜も月曜も雨マークの一色でした。
それがどういうわけか!
土曜の晩になったら、翌日の予報が突如として晴れマークに変わったのです。
すごいですね、執念は雨雲すらどかしてしまうんですね(笑)
これなら行けるよ、と話すと母はえらく喜びました。
・・・
山小屋にいた経験上、午後には雲が沸き立つことが分かっていたので、朝イチで出発して8時頃には新穂高ロープウェイに到着。
昨日までの悪天候がウソみたいに真っ青な空でした。
そこに吸い込まれていくように上がっていくゴンドラ。
無事、360度の大パノラマを見せてあげることが出来たのでした。
めでたしめでたし。
写真撮る?と聞くと、
「写真はいいの、しっかり焼き付けたから」だそうで。
この日は梅雨時の、本当に貴重な晴天でした。
目一杯、岐阜を満喫させてあげたかったので、ロープウェイのあとは世界遺産の白川郷や、
山の斜面一面のゆり園に行ったり、とことん遊び尽くした一日でした。
雑談だって大切
車を運転中、ふと何気なく「ところで、昔から山とか好きだったっけ?」と聞いてみました。
すると、少し黙ってから
「パパがね、生きてた頃、ずっと行きたがってたの」
「オヤジが?」
「うん、あんたが千葉を離れて、せっかく岐阜で就いた仕事を辞めてでも行くことを選んだ、北アルプスの山の景色を見たかったみたいなの。あんたと一緒に」
「パパ、死んじゃいそうな時でも、考えることは家族のことなんだよね」
返す言葉がありませんでした。
・・・
千葉を離れて11年。
その間、年末年始や法事などで帰ることはあったものの、
いつも何かしらの用があったり、地元の仲間と約束していたりして、
あまり親のために時間を作ることもありませんでした。
たぶん、すべての帰省した日を合計して、
さらにその内「親と過ごした時間」って果たして何時間くらいだろう…。
親孝行をしようと思ったら、その限られた僅かな時間に何かをしなきゃいけなかったのに。
父には、本当に、何一つお返しと呼べるようなことは出来ませんでした。
・・・
以前の記事で書いたように、立て続けに家族が亡くなり、
さらには最愛の伴侶を失い、
今、あの家でたった一人で暮らす母は、
普段どんなことを感じながら生きているのだろう。
顔のシワは増え、髪のツヤもずいぶん無くなったなぁ、と思います。
僕の見えないところで、親が老いていきます。
歳は皆が平等に重ねるものです。
それは何もうちの母親だけではありません。
僕自身も同じだけ歳を重ねています。
でも、普段一緒に過ごさなくなったことで、時間の経過分をまとめて目にする事になるため、なんだか近頃は少しショックを受けたりもします。
僕は、この少しずつ老いていく母に、この先何をしてあげられるだろう。
父が亡くなった時、寂しい寂しいと毎晩泣いていた母に、
僕は電話をすることくらいしか出来ることはなく、
大変なことはほとんど兄弟たちに任せてしまいました。
いつしか大きな悲しみの波も少しずつ引いていき、
今はこうして遠く離れた飛騨まで遊びに来てくれるほど元気になってくれましたが、
僕には、何かもっと、母にしてあげるべきことがあったのではないだろうか…。
日が傾きかけた高速道路を運転しながら、ルームミラー越しに見える母の寝顔を見ながら、そんなことを考えていました。
・・・
夜。
この日は一日車を走らせ続けたので、母もずいぶん疲れたことと思います。
今日はもう早めに休もう、と言おうとしたところ、
「今日は疲れたでしょう?マッサージしてあげる」と言うのです。
母は今も某化粧品メーカーのメークアップの仕事をしているので、
ハンドマッサージやら身体の揉みほぐしやら、なかなかの腕前です。
「いいよいいよ」と断ったのですが、本人がやらせろとしつこく(^_^;)、
とうとう根負けしてうつ伏せになり、肩や腰を揉んでもらってしまいました。
・・・
マッサージをしながら、母は時々ポツリポツリとつぶやきました。
「パパは最期の方は骨と皮になっちゃってたから、こんな風に身体のマッサージは出来なかったのよね…、元々がっしりしてる人だったから可哀想だったな…」
「でもハンドマッサージだけは気持ち良かったみたいで、一通り終わっても「もう少しやって」とせがんできたの。おかしいね」
「いつの間にか、あんたの手もパパと同じくらいの大きさになったのねぇ」
色々話してくることに、僕は相づちを打つだけでしたが、
なんだかちょっと、こみ上げてくるものがありましたね。
遠い日に下から見上げていた母。
こうして床から見上げると、その角度は同じなのに今はずいぶんあの頃と違います。
僕が大きくなったのか、母が小さくなったのか、
背中に跨ってグリグリ押してくれる体がとても軽く感じました。
この記事を書きながら、
マッサージのお返しに肩でも揉んであげれば良かったな、と今頃になって反省しています。
だってこの先、肩を揉んであげられる機会がどれだけあるだろう。
次会う時まで元気でいてくれる保証なんて、誰にもどこにもないんですから。
・・・
人は20年も経てば、想像もできないくらい色んな事が変わっていくんだなぁ、とこの歳になってしみじみ思います。
親孝行ってなんでしょうね。
きっと「何か特定のことをする」という事だけではないのだろうと思います。
次に会う時までに、何か喜んでくれそうなことを考えておこう。
まずは考えることから始めよう。
とりあえず、今年の暮れに帰った時の宿題は、今度こそ肩を揉んであげること、かな?(^_^;)