物言わぬからこそ

こんにちは。

今日はワン公のお話。

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あまごは今10歳です。

僕が飛騨に来た年に生まれました。

 

またどこかで書こうと思いますが、

僕は道の駅に勤め出した3年後に山小屋に行くことを決め、

その年の6月~10月までの間(=山小屋の営業期間)、千葉の実家にあまごを預けていました。

 

2シーズン、山小屋でお仕事をさせてもらったので、

あまごも2回の夏を千葉で過ごしたことになります。

(長期間、預けたりしてごめんよ…(ー ー;))

 

・・・ 

 

そしてこの10年という期間の間に、

僕はかけがえのない家族を次々と亡くしました。

 

 

 2007年の1月に祖父が、

2009年の1月に祖母が、

そして2011年の2月に父。

 

まずはじいちゃんの時。

千葉を離れて2年、年末年始に帰った際に

久しぶりに会った時の変わり様ときたら、それはひどいものでした。

本当につらかったです。

 

でも帰省から数日、正月の終わりと共に、僕は千葉を後にしなければなりません。

 

それまであまり身近な人の死というものに縁がなかった自分は、

当たり前のように次に会う機会があると思っていました。

それが飛騨に帰ってすぐに、また千葉に戻ることになるなんて。

 

死に目に会えなかったことも、

この世を去ろうとしているじいちゃんの側にいてあげることもできなかった自分を

当時はずいぶん責めました。

 

そんな時、それまでどちらかといえば聞かん坊だったあまごが、

なぜだか四六時中、僕のそばにくっ付き、

いつもなら自分の寝床で寝るのに、毎日毎日僕の布団の中に入ってきては、

顔をべろべろなめてくるのです。

 

きっと心配してくれてたんだろうなぁと思います。

 

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そして、じいちゃんがいなくなった後、

今度はばあちゃんの元気がなくなりました。

昔からばあちゃん子だった僕は、「どうも体調が悪い」と聞いてからは、年末年始以外にも何度か帰るようにしていました。

 

ばあちゃんは、生前よく言っていました。

「なぁ〇〇(僕の名前)…、もう岐阜に帰るんか?…まだこっちに来て2~3日しか経ってないのに…そんなにあっちがいいのかい?もう千葉には戻ってこないのかい?」

 

ばあちゃんは東京のどこだかの良家の出身で、

とてもプライドが高く、決して弱音などは吐かず、

いつでも毅然としている人でした。

 

じいちゃんの看護には、バスとタクシーを乗り継いで毎日のように病院に通い

「あの人の最期は私がしっかり看取った」と胸を張るような人でした。

 

そのばあちゃんが、自分の死を前にして「行かないで」とお願いしている。

あまごは、ばあちゃんの布団のまわりをくるくる周り、

ばあちゃんの足元で丸くなって背中を撫でてもらっていました。

 

「この子は賢い子だねぇ…いて欲しい時にすぐに、そばに寄ってくるね…」

 

 

飛騨に帰る日、ばあちゃんは言いました。

「そうだね、帰らなきゃね…、〇〇にはあまちゃんが付いてるから大丈夫だね。

あまちゃん、〇〇を頼んだよ。

ちゃんと良い子にして、〇〇に迷惑をかけるんじゃないよ。

まじめに一生懸命生きていれば、ちゃんとみんなに好かれるんだからね。」

 

それはあまごに言ってるの…?

それとも僕に向けた最後の贈る言葉だったのでしょうか。

 

それからしばらくして、

 

ばあちゃんも空へと上って行きました。

 

その時には、あまごは4日間ほど全くごはんを食べなくなってしまい、

本当に心配したことを覚えています。

 

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そして最後にオヤジの時。

 

実はオヤジは2000年頃からガンを患っていました。

 

手術をするも転移が見つかり、騙し騙し生活していたのだと思います。

自身が重い病気を抱えながら、自分の両親を見送るのはどんなに辛かっただろうと思います。

 

2010年の年末のことです。

僕は彼女(=現在の嫁)を連れて、初めて千葉に帰りました。

 

「病状が良くない」と聞いていた僕らは、

静かに家のドアを開けて「ただいま」と伝えると、

驚いたことに、父はすぐに泣きはじめました。

 

すると、あまごがすぐに駆け寄って、

父の伸ばした手を一生懸命なめていました。

 

「よく来たな。

あまごもおかえり。」

 

精一杯の、父のかすれる声での挨拶。

あまごも鼻で泣いていました。

 

僕は千葉を出発する日、

心のどこかで「きっともう会えない」と覚悟していました。

僕には何もしてあげられません。

出発の日の朝、力いっぱいオヤジの体を抱きしめ、

せめてものスキンシップをと思い、

何度も何度も背中をさすってあげました。

 

あんなに大きかったオヤジの背中。

小さい頃はバイクの後ろに乗せてくれて、

遠くまでドライブに行った事もありました。

 

あの背中が、もう僕の両腕分くらいしか面積がなくて

それがどうしようもなく悲しくて

「大丈夫、大丈夫」と精一杯笑って話しかけました。

 

…人生とは本当に上手くいかないものです。

 

・・・

 

家を出るまでは笑顔で乗り切りましたが、

最初の赤信号で止まった時には嗚咽が止まらなくなり、

あまごが心配して後部座席でクンクン鳴いていたのを覚えています。

 

 オヤジはその年のバレンタインデーに静かに息を引き取りました。

 

 

・・・

 

あれ?

 

あまごの話と言っておきながら、

なんだか家族の話ばかりになってしまいましたね(笑)

 

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犬は言葉をしゃべりません。

だから実際はどんなことを考えていて、

何を思っているのかなんてわかりません。 

 

 

でも、そんな何も話さない生き物と過ごす時間だからこそ、相手の気持ちを知ろうと思うし、

きっとむこうもこちらの気持ちを知ろうとして、いつもじーっと見てるんじゃないかなぁ、と思うのです。

 

子供のいない我が家ですが、嫁と犬と3人で(いずれはもっと人数も増えて笑)

この家族を大切にしていきたいなぁ、と思う今日この頃です。

 

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