産まれ、生きて、終えること

こんばんは。

一昨日の晩、一台の救急車が我が家の脇を通り過ぎていきました。

そして今日、帰宅したら郵便受けには葬儀のお知らせ。

悲しい…。

皆で喜び、皆で悲しむ

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先月、地域の新年会にあたる「万雑」という行事があった、という記事を書きました。

そこでベロベロに酔っぱらった僕は、

まだ安定期にも入っていないのに、ペラペラとお嫁様の妊娠を話してしまいました。

それでも皆が「おめでとう~♪」と喜んでくれて、とても嬉しかったのです。

こんな田舎ですからね。

皆でお互いの吉報を喜べるって素晴らしい!


・・・


そして今日の夕方。

まだこの地域のお葬式の慣習などがよく分かっていない僕は、

たまたま4月からの新しい班長さん(50代?)がいたのでその人から色々と教えてもらいました。


昔はお葬式の際には、各家から女手が出て、皆で協力したこと。

だから香典も安かった(!)ということ。

今は葬儀屋を使うのが一般的であるため、

その手伝いが無くなった分、香典に上乗せ?するようになったこと。


これは、千葉にある僕の実家でもほとんど同じです。

昔は皆で協力したそうですが、今はそういったことはあまりありません。

それが良くないとかそういう話ではなく、

不景気な時代となり、夫婦共働きの一般化、

そして少子化や、若者が都会に出ていくことで起こる人口減少と高齢化。

単純に、大多数の人が「すぐに駆け付けること」が難しくなってきているんですよね。


そして、新班長さんの言葉が胸に響きました。

家族みたいなものだから

「亡くなったばあちゃんには昔っから良くしてもらったし

それにこんな田舎では、皆が家族みたいなもんやでな」


だから、とても寂しい、と。


我が家の吉報に皆が喜んでくれたように、

訃報を皆が悲しんでいます。


悲しいけれど、そんな繋がりが今もあることが素晴らしいと思います。



明日の夕方、お通夜に行ってきます。



もう一月もすれば、神社のそばの桜が見れたのに。


なかなか思うようにはいかないものですね。



おばあちゃん。

どうか、やすらかに。

ご冥福をお祈りいたします。