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◆田舎で生活10年目!◆

もう僕が都会で生きていくことはムリだと思います。

遠く郷里を離れ、敬老の日に思う

こんにちは!

朝から激濡れの1日。
出勤して10分でびっしょびしょでした。
日々沈黙を貫いているツイッターでも思わずグチってしまいました。
そのくらい帰りたかったです(笑)



もっとも、天才あまご氏はこんなこともあろうかと、「着替え」という最重要アイテムを用意していたので、早々にドライなウェアへとモードチェンジ☆

服が乾いてるって素晴らしいです。

色々と乾ききった生活は困りますけど。


・・・



今日は敬老の日ですね。

おじいちゃん・おばあちゃんへの感謝の気持ちを伝える日です。


この「おじいちゃん」「おばあちゃん」という括りが、なかなか複雑なんですよね。

(え?そんなことないって?(^_^;))


具体的に説明しますね。

僕には兄と弟がいます。

それぞれ結婚し、子供もいます。

この、子供がいるかどうかでこの祝日にあたっての行動パターンが変わると思うんです。

いつしか敬老の日の対象は、子供から見ての祖父母になっていたりします。

つまり自分の両親がメインターゲットとなるイベントだったりするのです。

(子供たちが贈り物をするための手助けをするため)


もちろん、自分から見ての祖父母にも贈り物はするのですが、

大人になってからの「敬老の日のプレゼント」って、どうしても画一的になってしまいがちですよね。

「去年は〇〇をあげたし、今年はどうしよう?」みたいな。


・・・


そうはいいつつ、以前も書いたように、

幼少期に一緒に暮らしていた、僕の父方の祖父母は2007年と2009年に他界しました。

母方の祖母も一昨年に亡くなり、子供のいない僕からすると、

敬老の日の対象となる「老」の称号を持つ方(笑)は、母方の祖父だけということになります。

しかしその祖父も認知が進み、もはや僕のことも誰だかわかりません。


「会うだけでも贈り物」といいますが、冒頭にも述べた通り、祝日も仕事の僕には千葉まで行くための休みもないし。

仮に休みがあったとして、それだけの用で果たして往復800㎞を走るかどうか…。

だから、感謝の気持ちを伝えるのは、次に会った時にしようと思います。

別に「敬老の日」でなくてもいいですよね。

そもそも特定の日だけ感謝する、って普段は感謝してないようなものだし(ー ー;)


(※こんな話をしたら「それは違うぞ。普段から感謝していても「敬老の日」という暦上に定められたひとつのタイミングは、改めて感謝の気持ちを伝えるにも最適な日なんだ。お前のような考え方こそ、普段感謝してない証拠」といったことを言われ、ぐうの音も出ない僕がいます(つД`))

・・・


というわけで、敬老の日に取るべき行動って何だろう。

皆さんはどう思われますか??

繰り返しますが、「この日だけすること」なら、それは別に不要なんじゃない?と思うのです。

(あ、子供は別ですよ。子供はそうやって節目ごとに優しい気持ちなんかを身に付けていくんですから)




今の自分なら…

畑を借りているばあちゃんとか、嫁のじいちゃんばあちゃんなんかに

改まった言葉や贈り物をするのではなく、何かしらの優しさを持った行動で接することなのかな、なんて思いました。


例えば、さりげなく数回肩を揉んで「敬老の日だしね~」って感じで。

きっと、相手が自分の祖父母だろうと、よそのお年寄りだろうと、本当はそのくらいでいいんだと思います。


畑を借りているばあちゃんにしてみれば、

ほとんど他人ともいえる僕から贈り物をされても恐縮してしまうだろうし、

「ありがとう」と伝えても「何かしましたっけ?」と言われてしまいそうですしね(笑)


・・・

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ちょうど10年前の写真です。懐かしい…


まだ祖父母が健在だった頃。

思い返せばロクな恩返しをしてこなかったなぁ、と思います。


両親と変わらぬ程の愛情で、色々優しくしてくれました。

馬鹿なクソガキだった僕はそのことにちっとも感謝もせず、

絶好のチャンス日である「敬老の日」ですら、面と向かっては何もしませんでした。

いつもありがとう、の一言すら無かったと思います。

でもきっと2人は、心のどこかでは何かしら待っていたんじゃないかな…。


ドラ息子ならぬ「ドラ孫」だった僕が、考えナシの思いつきだけで千葉を離れることを決めた時も、本当に寂しそうにしていて。

もしかしたら「ありがとう」よりも「ごめんね」の方が、本当に伝えるべき言葉だったかもしれません。




与えてくれた良い思い出に対する「ありがとう」も、

与えてしまった悪い思い出に対する「ごめんね」も、

言葉や贈り物だけではとても返しきれるものではありません。


大人になるとなにかと忙しくなってしまい、そうでなくてもじいちゃんばあちゃんの為に割ける時間なんて限られてくると思います。

そんな数少ない時間だからこそ、なるべく時間を割くこと、時間を割こうと思うこと。

それが「感謝」ってことなんじゃないかな、と思いました。




ああ。

叶うものなら、もう一度ばあちゃんのきんぴらごぼうが食べたいな。

今だったら畑の草刈も出来るし、トラクターにも乗れるようになったし、

軽トラの運転も、収穫した野菜が入った重たいコンテナも運んであげられたのに。



また千葉に帰った時には、お墓におれが作った野菜を持っていくね。

お空の上から待っていてくださいな。。

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